この悲恋伝説「菟原処女の伝説(うないおとめのでんせつ)」は万葉集の中にその物語が書かれてます。処女塚という古墳を前に、亡くなった一人の少女と二人の青年を偲んで、田辺福麻呂(万葉集巻九1801~1803「葦屋の処女の墓に過る時に作る歌」)、高橋虫麻呂(万葉集巻九1809~1811「菟原処女の墓を見る歌」)、そして大伴家持(万葉集巻九4211~4212「処女の墓の歌に追同する一首併せて短歌」)が和歌を歌うと言う形をとっています。そのうち二番目の高橋虫麻呂のものがこの「菟原処女の伝説(うないおとめのでんせつ)」の詳細を伝えています。この切ない悲恋物語は後に脚色され平安時代の「大和物語」では2人の若者が水鳥を弓矢で射て乙女を争う筋書きになり、後の時代にも謡曲「求塚」になったり、森鴎外も戯曲「生田川」として取り上げています。※「芦屋の菟原処女(うなひをとめ)伝説の資料」「乙女塚 by tukishino keiichi 槻篠慧一」。